取扱説明書について思うこと その6

マニュアル制作者について

ここのところのトレンドか、この間、TCシンポジウムに会社員ではなく、個人で参加しましたが、TC(テクニカルコミュニケータ)という概念があるらしい。恥ずかしながら知らなかった。

ただ、今回参加して思ったのは、マニュアルの作成スタイルには、2種類のモデルがあるようです。(ここからは私見です)

  1. 設計者が各部門を統括して製品デザインとしてマニュアルの著者であるモデル
  2. サービスエンジニア発端の、いわゆるテクニカルコミュニケーターとしてのモデル

日本のモデルは1.で、2.はTC学会の特別講演で聞く限りは、中国やドイツがこのモデルの様で、比較的新しい考え方のようです。

問題は、例えば、製品の記載内容に関しての問い合わせや責任があった場合、乱暴なクレームを言えば、実際マニュアル作成しているスタッフに対して、”あなたたちは実際マニュアルを作っているのだから、簡単だろ、....のように書け!”なんてクレームが海外から時に入ってくるのだけど、その記載内容は、責任部門である設計部門の判断のもとで行わなければならないことと、先述のとおり、安全や法規制に対する判断は企業のポリシーがあるので、各責任部門がアクションをとらなければ、コンプライアンス違反になりかねない。

日本型のモデルでは、やはり、著者は設計部門の主任クラスの管理で、関係各部門との調整が必要となります。

2.のモデルはリスクの少ない部分では有効であるが、高い部分は難しい、高度な技術を要求される部分の判断を技術のただしい理解もなく記述したりすることにコンプライアンス上のリスクを感じます。

一つのモデルとしては、マニュアル制作者は、先述のとおりある意味マニュアルは”辞書”であるから、”辞書”の”編集者”であったり、”漫画”などの”編集者”のモデルがこれに近くいのではないかと考える。ある意味デザイナーが製品に関する品質の”著者”で、作成者は、品質を”編み込む”ということなのかな。

海外からのクレームについて書いてますが、実は、”空洞化”というのは内外に限らずどうも起こっているようで、そのものの持っている意味の認識が薄れているみたいだし、反面インフラも新しくなるのでその波に乗るのはある意味、”空洞化”もチャンスなのかもしれない。



おまけ

今回のメモは3年前に奈良の吉野に撮影に行った際に作成したものです。

今年は、コロナで吉野の千本桜を撮影に行くことはできませんが、また撮影に行きたいですね。

ちなみに吉野から大阪の帰りは近鉄の特急でその中でタブレット片手にメモ作ってました。この間、近鉄京橋の駅に着いたら安全ラベルが目に入って、どうもこれは新しいISO対応のようでしたね。


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